流れる雲と夏の海 #04

「うわあああああっ!!」
思わず、叫び声をあげて目が覚める。べっとりと脂汗をかいていた。飛び起きたわりには、意識の焦点がハッキリしない。ただ、歯の根も合わないほどガチガチと身体が震えている……。
時計は午前2時過ぎを指しているのが、ちらっと目に入る……だけど、わたしの頭の中は、その意味が理解できないほど混乱していた。
「マナちゃんっ!!」
すぐにリツコさんがパジャマ姿のまま血相を変えて部屋に飛び込んできた。
わたしは怯えて反射的に身を隠そうとする──身体に染みついた条件反射……。
「……マナちゃん…………」
全てを察したのか優しい声音で、もう一度わたしの名前を口にする。
わたしの心がその声に反応して少しだけ警戒を解く──。
ふわり、とリツコさんが、わたしを優しく抱きしめてくれる。
そして、いつものように、わたしの頭を撫でながら、ココロに染み入るように囁く。
「もう、大丈夫……大丈夫よ……」
ゆっくりとわたしの強張った身体から力が抜けてゆく。やっと気が緩むとボロボロと涙が零れだし、わたしの口から意味をなさない嗚咽が洩れる。
「あぁ……あう……ううううっ……ううううっ」
だめだ、やっぱり止められないよ……だめ……。堰を切ったように…………溢れ出した。
わたしは、リツコさんの腕の中で赤ちゃんのように泣きじゃくった。
……………………。
それは、いつも見る悪夢だった。
戦自にいた時のアレ。……いや、確かに潜入作戦や破壊工作で恐い思いはしたことあるけどアレは、そんなもんじゃない……。
白神特殊生存訓練──通称、白特サバイバル──の記憶だ。
所持品は一切なし、期間は乾期の1ヶ月、単独行動が厳守、場所はかつて世界遺産にも指定されていた六千年以上前からある巨大な未開の森林地帯。目的は教官の追跡グループに発見されないで逃げおおせること。
生存確率は30%。実際、わたしの時も、半分以上は帰ってこなかった。今から考えると、たぶん、アレだけ恐い思いをすれば通常の作戦行動に不安なんぞ感じる筈もない。それが教官達の狙いだったかも知れない。
とてつもなく深い森林には、セカンドインパクトで気候が変動し肉食獣もいた。
やつらの気配や足音に怯え、風下に音を立てないように逃げ、樹齢何千年っていう木の枝によじ登って息を殺す。鼻先のものさえ見えない濃密な暗闇の中で、やつらの息づかいだけが聞こえる。冷たい汗がどっと噴き出す。
だけど、その汗の滴や臭いで、やつらに気付かれないか焦る。祈るような気持ちで木にしがみつき一睡もすることなく夜が明ける。
乾期だから、そこらじゅうに水があるわけじゃない。水を一口飲むのだって命がけだった。水場は、肉食獣の狩り場だからだ。
そして、追跡グループに見つかっても、死を意味している(もともと、わたしたちは戸籍も出生証明もなかったんだから、あそこで死んでも誰も証明できない)泉に毒を混ぜられたり、ブービートラップを仕掛けられたり……全てを疑ってかからなければ、命がない。
通常の作戦行動と違って、ある意味で周りは全て自分の生存を脅かす。一瞬の油断が簡単に命を奪ってゆく。常に怯え緊張し警戒し続ける……それが生き残るたった1つの方法。
──気が狂うかと、思った……。
流れる雲と夏の海
── 第4話 ──
……ひとしきり泣いて……リツコさんから身体を離すと、わたしは呟くように俯いて謝った。
「ごめんなさい……あの夢……もう見ないと思ってたのに……」 「謝らなくてもいいって言ってるでしょ。私が本当にできるのは、傍にいることぐらい──本当にこのくらいの事だけなんだから」
でも……わたしは、その「これくらいの事」に、どれだけ救われた事か……。
だからこそ、普段ただでさえ睡眠時間の少ないリツコさんに迷惑をかけるのは辛いんだ。わたしは鼻をすすると、もう一度リツコさんの胸に顔を埋めて言った。
「……リツコさん、ホントにありがとう……わたし……」 「それに、マナちゃんと暮らし始めて……感謝していることが一杯あるのよ。私……今までどこかで世間を妬んでいた、恨んでもいたわ。家族の絆とか、ささやかな幸せとか……そう言うの、ひねくれて綺麗事だって思ってたのよ。でもね……貴方と暮らし始めて、なんて小っちゃい事に煩わされてたんだろう、って」
わたしはリツコさんの顔を見上げた。わたしを慈しむような目で見ている。
リツコさんは、わたしの髪を撫でながら言葉を続ける。
「……最初、貴方を引き取ったとき、償いの気持ちで……あなたを癒してあげたいとか、支えになりたいとか、思っていたけど……わたしは思い違いをしていたのね」
リツコさんは一息つくと、ちょっと……はにかんだような、照れくさそうな微笑みを浮かべて──
「全然、違っていた……貴方といることが、私の支えになっているし……貴方にわたしはどれだけ癒されているか……だから、マナちゃんにとっても感謝してるのよ。──ふふふ、私がこんな事を言うの、ちょっと柄じゃないわね」 「リツコさん…………」
(夜中なんだから当たり前なんだけど)お化粧してないリツコさんの顔はとっても柔らかい表情で──。わたし……胸の中が暖かくって……嬉しくて……。
「そうそう、マナちゃんは、笑顔の方がずっと似合うわよ。あーあ、顔……ぐしゃぐしゃじゃない」 「うん……」
そういうと、ティッシュを取って、顔を拭ってくれる。──お母さんって、こんな感じ……なのかな──あ、いやいや、年齢から言ってソレ失礼だよねえ。
「汗びっしょりだし……シャワー浴びて、着替えた方がいいわね」
う、確かにそうだ。わたしは預けていた身体を起こす。何気なくリツコさんの胸元を見る──
「…………あ……」 「? ……あら」
うわ、わたしの涙とか汗とか鼻水とかで、リツコさんのパジャマがべちょべちょになって……ううう。わたしが決まり悪そうに縮こまってると、リツコさんがいたずらっぽく笑って言った。
「……一緒にお風呂、入っちゃおうか。昨日の残り湯、まだ温かいでしょ」
★ ★ ★
うちの洗面所は、ちょっと変わってる。洗面台と向かい合わせに、大きな姿見が壁にかかってる。うーん、多分、80センチ×170センチくらいはあるんじゃないかな。リツコさん曰く、メイクして服のコーディネイトするのに後ろ姿も確認できて便利なんだって。
で、そのジャンボミラーに、わたしとリツコさんが映ってる。リツコさんは170センチくらいあって、モデルばりのプロポーションだ。ううう……わたしって……ちっちゃいなあ……。
「じゃ、早く脱いで。洗濯は……明日で、いいわね」
リツコさんは、給湯器のスイッチを入れると、さっさと下着姿になって──うー、ホント、外国のファッション雑誌のモデルさんみたいだ──髪の毛を束ね直しながら言った。
わたしも、さっと服を脱ぐと──ちょっと、プロポーションについて、いたたまれなくなったのも事実だ──先にバスルームに入る。
シャワーで身体を流すと、ぬる目のお湯に浸かる。まだ、熱帯夜の暑さが空気に残ってて、このくらいのお湯に半分浸かってるくらいが一番、気持ちいい。
「ふう──」